こんにちは、すまらぼです!
4月27日、桜も散りかけて、GWの気配がにじむこの時期に、ちょっと風変わりな記念日がひっそりと立っています。
その名も「悪妻の日」。……え?なにそれ?誰が得するの?なんて声も聞こえてきそうですが、れっきとした“由来アリ”の記念日なんです。
舞台は、なんと古代ギリシャ。そう、あの「無知の知」で有名な哲学者ソクラテスが関わっています。いや関わってるどころか、彼の人生そのものを揺るがした“最強の妻”が主役なのです。
彼女の名はクサンティッペ。伝説の“暴風圏”として名を馳せた女性です。
そこで今回は、「4月27日・悪妻の日の謎と、クサンティッペという名の嵐」についてご紹介します。
ソクラテスもタジタジ!? 4月27日は「悪妻の日」だった件について
テーマの背景
毎年4月27日が「悪妻の日」とされている理由――それは、あの哲学界の大御所・ソクラテスの妻クサンティッペが“伝説級の悪妻”として語り継がれていることに由来します。
「なぜそんな記念日を?」と首をかしげたあなた、大丈夫。私たちも最初は戸惑いました。でも調べれば調べるほど、このクサンティッペという人物が、ただの“口うるさい妻”どころか、むしろ哲学的存在そのものだったことが見えてきたのです。
クサンティッペとは何者だったのか?
まず基本情報から。クサンティッペはソクラテスの妻であり、彼との間に数人の子どもをもうけたとされています。彼女の名前はギリシャ語で「黄色い馬」を意味し、当時としてはかなり高貴な名前だったとか。
しかし、彼女が後世に名を残した理由は、その“気性の激しさ”にあります。気に食わないことがあればソクラテスに一喝、時には水をぶっかけるという豪快エピソードも残されています。
ある日ソクラテスが帰宅すると――
クサンティッペ「また広場で哲学語ってたの?ご飯冷めてるんだけど?」
ソクラテス「私はただ、善き人生とは何かを考えていたのだ」
クサンティッペ「善き人生の前に、善き夫になってよ」
……というような会話劇が目に浮かぶようです。
悪妻か、それとも賢妻か?
クサンティッペ擁護派の見解
最近の歴史家の中には、クサンティッペを一方的に“悪妻”とするのは不公平だという声も多くあります。彼女は家庭を切り盛りし、家計を守り、子どもを育て、奔放な夫を支えながら、あの時代に自分の意見を堂々と述べていた女性なのです。
むしろ「強い女」としてのロールモデルだったのではないかという説もあるほど。その姿は、現代のSNSで話題になる“はっきり物を言う系奥様”にどこか通じるものがあります。
なぜ悪妻として語り継がれたのか?
ではなぜ、彼女は“悪妻”のレッテルを貼られてしまったのか?一説には、ソクラテスの弟子たちや後世の男性哲学者たちが、師を聖人化するために“その妻=試練”という構図を作り出したのではという指摘があります。
言うなれば、「偉人に苦労はつきもの」というお決まりのテンプレート演出。彼女の真の姿は、時代と男たちの都合により歪められてしまったのかもしれません。
「悪妻の日」から学べる、現代夫婦のリアル
21世紀の今、家庭内の力関係は確実に変化しています。夫婦は対等なパートナーとして互いに理解と尊重を持つことが求められる時代です。
そんな中、クサンティッペのように“強くて、面倒見がよくて、時に雷のように怒る妻”がいたとしても、それを一方的に「悪妻」とするのはナンセンス。
4月27日――この日は、単なる皮肉の日ではなく、“夫婦間の誤解と固定観念”を笑い飛ばしながら見直すための日なのかもしれません。
もしあなたが「ウチにもクサンティッペがいる…」と感じたら、それは幸運です。ソクラテス曰く、「結婚するなら良妻を得よ。悪妻を得れば哲学者になれる。」
まとめ: 「悪妻」は本当に“悪”なのか?
クサンティッペは歴史の中で“悪妻”として語られてきましたが、現代の目で見れば、芯が強く、自分の意思を貫いた一人の女性だったのかもしれません。
彼女のような存在が家庭に“風”を吹かせ、時には“嵐”を巻き起こしつつも、夫婦という船を前に進めるのです。
4月27日、「悪妻の日」。今日は、そんな“嵐の女神”に、ちょっと感謝してもいいかもしれませんね。